DOSY(diffusion-ordered spectroscopy、拡散秩序分光法)は、たいてい「NMR チューブの中で行うクロマトグラフィー」と紹介される。分子を物理的に分けるのではなく、拡散の速さの違いでスペクトルを分ける ―― 混合物をそのまま溶かして測るだけで成分ごとのスペクトルが出てくる、という魅力的な絵だ。
ところが、その DOSY を 1992 年に世に出した本人である Gareth A. Morris は、2021 年の論文でこう書いている。
「DOSY という名前は、しかしながら、いくつかの点で誤解を招く」
「DOSY のような擬似 2D 法では……拡散次元は統計的な構築物であり、拡散次元における信号の位置は真の D 値のまわりに散らばる」
COSY や NOESY では、F1 軸の位置は t1 期の発展周波数、つまり量子力学が直接決める。位相や振幅がおかしくなることはあっても、周波数は必ず「正しい」位置に出る。DOSY はそうではない。縦軸の位置は Stejskal–Tanner 式へのフィットの出力であり、ピークの幅に至ってはフィットの標準誤差をガウス関数に描き直しただけである。
だから同じ論文はこう続ける ―― 「COSY では同じ化学シフトのピークは正確に揃う。DOSY では、同じ拡散係数を持つピークは、重なるべきガウス形を持ちながら一致しない」。
本記事は、この「拡散軸は測定値ではない」という一点を軸に、DOSY を分離装置ではなくサイズの秤として使うために何を校正し、何を疑い、得られた数字をどう分子量に翻訳するかを、原典にあたって整理する。
この記事の読み方
- 入門者:1〜3 節。DOSY が何を測っているのか、パルス系列がなぜあれほど複雑なのか。
- これから測る人:4〜9 節が本題。分解能の限界、対流、校正、パラメータの決め方。
- 数字を解釈する人:10〜12 節。拡散係数から分子量を出す三つの方法とその誤差。
- 混合物を解きたい人:13 節。matrix-assisted DOSY と pure shift DOSY。
- 高分子屋:14 節。ベンチトップ DOSY は GPC を置き換えるか。
数値はすべて原典(論文本文・PDF・メーカーのアプリケーションノート)を開いて確認している。裏が取れなかったものは制作メモで明示した。
1. 「NMR の中のクロマトグラフィー」はどこで壊れるか

DOSY は Morris と Johnson が 1992 年に導入した(J. Am. Chem. Soc. 114, 3139)。原理そのものはもっと古く、パルス磁場勾配スピンエコーで化学種を区別できることは Stilbs が 1981 年に指摘していた。DOSY の付加価値は、うまくいく場合には拡散次元の断面が成分ごとの 1D スペクトルになるという点にある。
問題は「うまくいく場合には」の中身だ。Morris らは 2021 年の論文で、DOSY スペクトルの解釈が他の 2D NMR より分光学者の技量と判断を要求する理由を三つ挙げている。
- 拡散次元が統計的な構築物であること(位置も幅もフィットの産物)
- 信号の重なりの影響
- 不完全な実験が持ち込む系統誤差
このうち 2 と 3 は、実は 1 を経由して効いてくる。重なったピークを単一指数関数でフィットすると、複数成分の混じった減衰に対して「中間の」拡散係数が返ってくる(Evans の総説)。その中間値は誰の値でもない。にもかかわらず DOSY スペクトルには、その中間位置に立派なピークが描かれる。
米国 University of Wisconsin の NMR 施設が公開している Avance III 用の DOSY 手引き(2022 年 5 月更新)は、この点についてかなり率直だ。同じ生データから「DOSY 表示」と「拡散解析(ピーク高さの減衰曲線)」の両方が作れるが、
「多くの研究者は DOSY という提示形式を好むが、データ品質を判断する方法がより単純で直感的であるぶん、拡散曲線のほうがしばしば良い結果を生む。……そして上司はしばしば DOSY 表示に騙される」
と書いている。減衰曲線を見れば、そのフィットがどれだけ信用できるかは一目でわかる。DOSY の 2D 表示は、その情報を隠す。
2. 何を測っているのか ― パルス磁場勾配と Stejskal–Tanner 式

DOSY の測定対象は、分子のブラウン運動による自己拡散係数 D である。相対的な話ではなく、分子が自分自身の熱運動でどれだけ動くか、という絶対量だ。
仕組みはこうだ。まず 90° パルスで励起したあと、z 軸方向に磁場勾配を短時間かける。ラーモア周波数が試料管の高さに比例して変わるので、スピンの位相は試料管内の高さでラベル付けされる。一定時間 Δ(拡散遅延)待ってから、面積が等しく符号が逆の勾配をもう一度かける。動かなかったスピンは位相が完全に戻るが、その間に移動したスピンは戻りきらない。この位相のずれが集団として信号減衰になる。
減衰の量を記述するのが Stejskal–Tanner 式(Stejskal & Tanner, J. Chem. Phys. 42, 288, 1965)で、信号強度 S は勾配強度 g、勾配パルス幅 δ、実効拡散時間 Δ′、磁気回転比 γ、そして D の関数として、指数関数的に減衰する。
ここで見落とされやすいのが Δ′(実効拡散時間) である。勾配パルスをかけている δ の間にも分子は拡散しているので、有効な拡散時間は Δ そのものではない。Δ′ はパルス系列ごとに違う値になり、主要な系列については既に計算されている(Evans 総説)。使っているパルスプログラムに対応した Δ′ を使わないと、D は系統的にずれる。
もうひとつ、実務的に効く性質がある。拡散係数は、分子間交換がない限り、同じ分子のすべての核について同じ値になる。緩和時間は核ごとにばらばらだが、拡散係数はそうではない。これが「同じ D の位置に出たピークは同じ分子のもの」という DOSY の読み方の根拠であり、同時に、同じ D の位置に揃わなかったら何かがおかしいという診断の根拠でもある。
3. パルス系列の系譜 ― スピンエコーから Oneshot まで
DOSY のパルス系列が世代を重ねて複雑になってきた理由は、ひとつずつ潰してきた失敗のリストとして読むとわかりやすい。
PGSE(パルス磁場勾配スピンエコー)。Δ の間に 180° パルスを 1 個置くだけの最も単純な形。磁化が横磁化のまま Δ を過ごすので、Δ が T2 で制限される。小〜中分子では 0.1〜0.5 秒の Δ が必要になるため、T2 緩和による損失が大きい。さらに J 結合が発展(J 変調)して位相が歪み、DOSY 処理をするとピークが拡散次元でずれる。
PGSTE(誘導エコー)。180° パルスを 2 個の 90° パルスに置き換え、Δ のあいだ磁化を縦(z 軸)に寝かせておく。小分子では T1 ≥ T2 なので、緩和損失は減る。J 変調も磁場擾乱への感受性も下がる。代償として信号は原理的に半分になるが、総合すればこちらが有利で、現行のほとんどの系列はこれを土台にしている。
LED(縦渦電流遅延)。勾配のオン・オフで誘導される渦電流は、ロック信号を揺らし、線形を歪ませる(広がり・わずかなずれ・片側の負のディップ)。検出直前にもう一度磁化を縦に寝かせ、渦電流が減衰するまで待ってから読み出す。
双極子対勾配(bipolar pair)。1 個の勾配パルスを、180° パルスを挟んだ「半分の幅で符号が逆の 2 個」に置き換える。第 1 勾配が誘導した渦電流を第 2 勾配が部分的に打ち消し、しかも 180° パルスはロック信号に影響しないため、ロックの乱れがほぼ即座に打ち消される。単一の勾配パルスだとロックが元に戻るのに数百ミリ秒かかる。
Oneshot(Pelta, Morris, Stchedroff, Hammond, Magn. Reson. Chem. 40, S147, 2002)。パルス数が増えると必要な位相サイクルが長くなる。Oneshot は双極子対をあえて 1+α : 1−α の非対称にし、180° パルスで戻らなかった磁化を勾配自身で潰すことで、長い位相サイクルを不要にした。バランスを取るために拡散期に相対強度 2α の勾配対を追加し、さらに緩和遅延側にも勾配を足して系列全体の勾配面積の合計をゼロにしてある。最後の細工として、拡散エンコード勾配を増やすのに合わせて減らす勾配対を置き、1 スキャンあたり勾配コイルに投入されるエネルギーを一定に保つ ―― コイルの温度変化そのものを消しにいっている。
Bruker の TopSpin では、対流補償なしが ledbpgp2s、対流補償ありが dstebpgp3s(いずれも Jerschow & Müller の系列に基づく)。JEOL では bpp_dste_led_dosy_pfg などの名前で提供されている。
4. 拡散軸の分解能 ―「1%」と「30%」の間

DOSY で「どれくらいサイズが違えば分けられるか」には、はっきりした目安がある。ただし化学シフト軸でピークが分離しているかどうかで、答えが 1 桁以上変わる。
Manchester のグループが matrix-assisted DOSY の論文(Gramosa ら, Magn. Reson. Chem. 54, 815, 2016)の冒頭で示している数字がそれだ。
- 信号が分離している場合(高分解能 DOSY のケース):D の差が 1% しかなくても分離できる。半径と体積の 3 乗根関係から、これは分子量にして約 3% の差にあたる。
- 信号が重なっている場合:より高度な処理が必要で、典型的には D の差が最低でも 30% 必要になる。条件が良ければ多変量解析で数 % まで下げられる。
「1% の D 差 ≒ 3% の質量差」は自分でも確かめられる。D ∝ 1/r かつ r ∝ M1/3 なので D ∝ M−1/3、したがって ΔM/M = 3 × ΔD/D。1% × 3 = 3% で合う。
この 1% と 30% の落差が、DOSY の実務における最大の分かれ目である。きれいに分離した 1 本のピークがあるかどうかが、分けられる/分けられないを決める。だからこそ、後述する pure shift DOSY(多重線を 1 本に潰す)や 3D DOSY(第 3 の周波数軸に広げる)が意味を持つ。
そして重なりがある場合の最悪の症状は「分けられない」ではない。中間の D を持つ、実在しないピークが立つことだ。Evans の総説が挙げる例では、キニーネ・ゲラニオール・カンフェンの混合物の DOSY で、1〜2 ppm 付近に重なりに由来する誤配置ピークが現れている。
5. S/N をいくら上げても分解能は頭打ちになる

「分解能が足りないなら積算時間を伸ばせばよい」―― この直感を正面から検証したのが、先に引いた Guest・Kiraly・Nilsson・Morris の 2021 年の論文(Magn. Reson. 2, 733–739、オープンアクセス)である。結論から言うと、伸ばしても無駄になる領域がある。
彼らは拡散分解能を RD = D/σD(拡散係数を、その推定標準偏差で割った値)と定義し、クラメール・ラオの下限からノイズだけで決まる理論限界を導いた。そのうえで、実測データにノイズを足し込んでいく実験をした。
使ったのはキニーネの 3.9 ppm のメトキシ信号で、最低勾配での S/N は 14 400 : 1。理論が予測する拡散分解能は約 15 000。ところが生データをフィットして得られた実測の RD は ―― 420 だった。理論値の 1/35 である。
原因はノイズ以外の系統誤差だ。論文は、ノイズ以外の誤差を織り込んだ「実効 S/N」を導入し、実測データへのフィットから SNRlim = 305(「300 をわずかに超える値」)を得ている。この数字が何を意味するかも書かれている ―― 信号振幅の RMS 不確かさにして 1/600、すなわち約 0.17%。温度の揺らぎ、勾配の空間不均一性、RF パルスの不安定さ。現代の分光計で多重パルス系列を使ってまじめに測ったときの、ごく普通の再現性である。
つまり S/N が 300 を超えたあたりから、積算しても拡散分解能はほとんど改善しない。論文の結論部はこう言っている。
「両方の場合において、装置時間を大量に浪費して何も得られないことは可能であり、実際によくある。ノイズ以外の誤差源がフィッティング統計を支配してしまうか、最終的な S/N が不足しているかのどちらかだ。……式 (11) による自明な計算を一度やれば、そもそもその実験を試みる価値があるかどうか、そして達成可能な限界分解能がどれだけかの両方がわかる」
測る前に計算しろ、というのがこの論文の実務的なメッセージである。そして分解能が足りないなら、積算ではなく系統誤差の側(対流と校正)を叩くしかない。
なお同論文は、勾配点数 N を増やしたときの分解能の伸びが最大になる条件も示している。最大の Stejskal–Tanner 指数 εmax ≈ 2.1 のときで、これは最終点の信号が初点の e−2.1 ≈ 12% まで落ちる設定にあたる。
6. 最大の誤差源は対流 ― 加熱していなくても起きる

拡散 NMR が測っているのは「分子のランダムな移動」である。ランダムでない移動が混ざれば、そのぶん D は過大評価される。その筆頭が対流だ。
対流には性質の違う二つの機構がある。ここが実務上の急所になる。
レイリー・ベナール対流は、試料の下が上より暖かいときに起きる。重要なのはこれが臨界現象であること ―― 鉛直温度勾配がある臨界値を超えるまでは起きない。だから「試料温度を室温より低く設定しておけば管の底が上より冷たくなり、対流は起きないはずだ」という推論が成り立ちそうに見える。
成り立たない。 プローブ内部の空間は極端に非対称で、試料管まわりの気流は乱される。結果として鉛直方向だけでなく水平方向の温度勾配も生じる。水平温度勾配が駆動する対流(ハドレー流)は、臨界現象ではない。閾値がないので、いつでも、どんな温度設定でも起きる。
Evans の総説はこの帰結をはっきり書いている ―― 「本質的にすべてのプローブが、なんらかの対流の証拠を示す。水平温度勾配が誘起するハドレー対流の存在は、対流が室温より高い温度だけでなく室温より低い温度でも観測されることを意味する。したがって、測定される拡散係数への対流の影響は、歴史的に過小評価されてきた」。この結論の根拠になった研究は、タイトルからして雄弁だ ―― Swan らの「液体 NMR における試料対流:なぜそれは常に我々とともにあり、我々に何ができるのか」(J. Magn. Reson. 252, 120, 2015)、Barbosa らの「液体 NMR における対流:予想外を予想せよ」(RSC Adv. 6, 95173, 2016)。
Wisconsin の手引きも、温度制御装置の脈動的な加熱それ自体が対流源になりうると指摘し、室温付近で測るなら温度制御(BCU チラーを含む)をむしろ切ってみる価値があるとまで書いている。19F・31P・13C のデカップリングや TOCSY のスピンロックによる RF 加熱も同じ理由で効く。
対流の起きやすさは溶媒の物性で決まる。Evans はパラメータ χ = βηκ(β:体積熱膨張率 [K⁻¹]、η:粘度 [Pa·s]、κ:熱伝導率 [W m⁻¹ K⁻¹])を挙げ、実測データについてこう述べている ―― CDCl₃ は同じ熱条件下で D₂O より 10 倍以上対流しやすい。クロロホルムで測った拡散係数が予測より大きめに出る、という文献データの傾向は、これで説明がつく。
7. 対流を見分ける・減らす

見分け方は単純で、しかも追加のハードウェアが要らない。
対流があると、観測される拡散係数は真の D に「流速の 2 乗 × 拡散遅延」に比例する項が上乗せされる。したがって ―― Δ を変えて D を測り直せばよい。対流がなければ D は Δ に依存しないはずである。Δ を伸ばすにつれて D が直線的に増えていったら、それが対流の証拠だ。
JEOL のアプリケーションノート(NM220005)が示している実測例がまさにこれで、o-ジクロロベンゼン-d4 中の 4 w/v% ポリスチレン(31 kDa)を 90 ℃ で測ると、PGSTE で得られる見かけの拡散係数は採用した拡散時間に比例した(Δ = 200 ms、δ = 5 ms、G = 30〜270 mT/m)。対流は信号減衰にコサイン型の変調を持ち込むため、激しい場合は高勾配側の信号が負になるというもっと露骨な症状も出る。
減らし方は 4 つある。
- 対流補償パルス系列(DSTE:二重誘導エコー)。拡散エンコード期間を前後 2 つに分け、前半の対流の効果を後半で反転させて打ち消す(Jerschow & Müller, J. Magn. Reson. 125, 372, 1997)。代償は信号が半分になること(誘導エコー基準。スピンエコー基準では 1/4)。
- 細い試料管。3 mm 管は対流を大きく減らす。Shigemi 管も、試料体積が小さくなるぶん温度勾配が減るので有効。
- サファイア管。サファイアの熱伝導率はホウケイ酸ガラスの約 25 倍あるので、対流を駆動する温度勾配そのものを潰せる。
- 試料回転。対流を減らすという報告はあるが、Wisconsin の手引きは「治すのと同じくらい問題を起こす」として細管を優先している(Bruker は回すなら Δ を回転周期の整数倍にせよとしている)。
そして運用ルールとしてはこうだ ―― Wisconsin の手引きは「5 mm 管では、室温から離れたすべての温度で対流補償は必須」「クライオプローブの 5 mm 管では常に使うべき」と明記している(クライオプローブでは室温でも対流が起きる)。Evans も「拡散係数を定量的に扱う研究はすべて、細管か対流補償系列、S/N が許すなら両方を使って対流の影響を減らすべきである」と結論している。
8. 校正 ― 勾配と温度

対流を潰しても、勾配と温度が校正されていなければ D は系統的にずれる。
勾配校正
分光計が直接制御しているのは勾配強度ではなく勾配コイルに流す電流である。同じ電流値でどれだけの勾配が立つかは、プローブ・コイル・アンプの個体差で変わる。校正法は主に 2 つ。
- ファントム法:既知寸法のテフロン円板などを RF コイル中心に置き、1D プロファイル(画像)の欠損幅と実寸を比べる。原理的には絶対校正だが、円板境界の磁化率不連続でプロファイルが歪み、厚みと向きの管理がシビア。
- 既知 D の標準物質:よく使われるのは「純」D₂O 中の残留 HDO で、298 K で 1.902 × 10⁻⁹ m² s⁻¹。シクロヘキサンや DMSO などの純溶媒も温度依存性まで整備されているが、ラジエーションダンピングの問題が出ることがある。この方法は先に温度制御が校正されていることが前提になる。
ただし、この 2 つはどちらももっと厄介な問題を扱えない。実際の勾配コイルは、試料の有効体積にわたって一様な勾配を作らない。コイル中央に最も一様な「スイートスポット」があり、そこから外れるほど z 依存(さらに弱く x, y 依存)でずれていく。試料の場所ごとに違う勾配がかかるので、信号減衰は純粋な指数関数からずれる ―― しかも減衰が進むほどずれが大きくなる。
これを扱う方法が、弱い「読み出し勾配」をかけて試料内の位置を周波数に対応させ、勾配強度の空間分布そのものをマッピングして Stejskal–Tanner 式を補正する手法である(Connell ら, J. Magn. Reson. 198, 121, 2009)。Evans はこれを「群を抜いて最も信頼できる校正法」と評し、1% を切る確度が得られるとしている。
温度校正
温度は 2 経路で拡散係数に効く。Stokes–Einstein 式の分子にある熱エネルギー kBT と、分母にある溶媒粘度 η である。効くのは圧倒的に後者で、粘度の温度依存性はアレニウス型でよく表される。
分光計の温度制御は、試料の近くに置いた熱電対でガスの温度を制御しているだけで、試料そのものの温度を測ってはいない。NMR 温度計が要る。純エチレングリコールや純メタノールが標準として供給されているが、純液体は磁化が強すぎて線が広がったり動いたりするし、低粘度液体は対流のせいで使える温度範囲が狭い。Evans が推す実用解は厚肉管に入れたメタノール-d4 で、残留 CHD₂OD と CD₃OH のシフト差が温度に対してきれいな 2 次関数になり、少なくとも 280〜320 K で正確に測れることが確認されている。
校正が済んでも安定性と均一性は別問題だ。多くの実験室の空調は 1〜2 K の幅で振動している。実験の途中で室温がゆっくり揺れると、生の拡散データに「うねり」として現れる。
9. 測定パラメータの決め方 ―「最後の点で 5%」

ここは実際にキーボードを叩く話なので、Wisconsin の Avance III 手引きの数値をそのまま並べる(Bruker のパラメータ名で書かれているが、考え方はメーカーを問わない)。
まず 1D で Δ(d20)と δ(p30)を決める。 目標ははっきりしている ―― 最大勾配での信号強度が、最小勾配での約 5% になること。
- 5% より小さい → 減衰させすぎ。Δ か δ を減らす。
- 10% より大きい → 足りない。まず Δ を、最も短い T1 くらいまで伸ばす。それでも足りなければ δ を伸ばす。
- 最大設定(Δ ≈ T1、勾配 95%、δ = 2〜3 ms)でも減らない → その系では拡散が遅すぎて正確に測れない。分子量が大きすぎるか溶媒粘度が高すぎる。溶媒か温度を変えるか、確度の低下を受け入れるしかない。パラメータをさらに極端にしてはいけない(ハードウェアを壊す)。
前節で触れた理論最適 εmax ≈ 2.1 は最終点 12% にあたるので、この「5%」という実務指針は理論最適よりやや強く減衰させる設定になる。同じ桁ではあるが一致はしない。ちなみに Guest らの 2021 年論文の実測データ自体は N = 12、εmax = 0.76(最終点で 47%)で、最適よりだいぶ手前である。「5% を狙う」も「12% を狙う」も、実際の測定条件の多くよりは十分に踏み込んでいると考えてよい。
次に守るべき制約:
| 項目 | 値 | 理由 |
|---|---|---|
勾配パルス幅(Bruker の p30) |
典型 0.5〜3 ms、BBFO で ≤ 3 ms、クライオプローブで ≤ 2 ms | プローブ保護(パルスプログラム側で強制される)。双極子対では p30 は δ の半分にあたる |
デューティ比 p30/(d1+aq) |
≤ 0.05(5%) | 「プローブ破損を防ぐために絶対的に重要」 |
| Δ(拡散遅延) | 典型 0.01 s 〜 最も短い T1 | STE では T1 が上限 |
| 緩和遅延 d1 | 2〜5 × T1(d1+aq で ≥ 3×T1、5×T1 が望ましい) | 定量性が要るため |
| 勾配点数 | ≥ 7、典型 11〜31 | フィットの自由度 |
| 勾配ランプ | 3〜98%、2 乗間隔 | 減衰の情報量が偏らないように |
| 積算回数 | 2D では 16 の倍数 | 位相サイクル |
交換性プロトンの扱いには独立した注意がある。ペプチドやタンパク質のアミドプロトンは、一部の時間を分子上で、一部を水分子上で過ごす。この場合に測れる D は、分子としての値と水としての値の平均になる。したがってプリサチュレーションで水と交換性プロトンを潰し、非交換性プロトンで D を決めるのが正しい。溶媒抑制が「拡散測定の邪魔」ではなく「拡散測定の前提」になる、直感に反する場面である。
10. 拡散係数から分子量へ ① Stokes–Einstein が小分子で 45% 外す理由

D が正しく測れたとして、化学者が本当に欲しいのは分子量である。ここからが第二の関門で、しかもこちらのほうが誤差は大きい。
素朴な出発点は Stokes–Einstein 式(D = kBT / 6πηrh)だ。だがこの式は小分子でひどく外れる。Evans らは 44 種の小分子を 5 種の重水素化溶媒に溶かした 108 サンプル(298 K、Oneshot 系列、Varian Unity 400)について、実測 D と Stokes–Einstein 予測を比べ、RMS で 45% のずれを報告している(Angew. Chem. Int. Ed. 52, 3199, 2013)。しかもずれは系統的で、小さく速い分子ほど式が過小評価する。
理由は式の前提そのものにある。
- 連続体近似の破綻:Stokes–Einstein 式は溶媒を連続流体として扱う。だが実際の溶質分子は溶媒分子と同じオーダーの大きさで、溶媒は「粒」である。分母の 6 という係数は境界条件の取り方で変わり、全サイズ域で通用する一つの値を持たない。電気化学の測定から推定された「Sutherland 定数」は 3 溶媒とも 4 より小さい値になった。
- 剛体球近似の破綻:分子は球ではない。楕円体近似で形状摩擦係数を補正する Perrin の解析式がある。ただし救いもあって、アスペクト比 5 未満なら影響は典型的に 10% 未満で、大半の小分子では無視できる。
- 半径と分子量の関係が不明:流体力学半径 rh は「同じ速さで拡散する仮想的な剛体球の半径」でしかない。van der Waals 半径が下限、結晶学的半径が上限、という程度のことしか一般には言えず、溶媒和・柔軟性・空洞の有無で変わる。
そしてもうひとつ、見落とされやすい事実がある。ここまでの話は全部「分子量から D を予測する」向きだった。実際に必要なのは逆向き(D から分子量)で、そちらは不確かさが約 3 倍になる(Evans)。
11. 拡散係数から分子量へ ② べき乗則

理論が使えないなら、経験式を当てる。最も広く使われるのが べき乗則 D = K M−α である。両辺の対数をとって log D を log M に対してプロットし、既知化合物で K と α を決めておく。
α は単なるフィッティングパラメータではなく、溶液中で分子がどれだけ空間を詰めているかを反映する。完全に詰まった球なら α = 0.33、無限に細い剛直棒なら α = 1 が極限値になる。Flory 理論からは、高分子について
- 貧溶媒:α = 0.333
- Θ 溶媒(ガウス鎖):α = 0.500
- 良溶媒:α = 0.588
が予想される。実測もこれによく合う。
| 系 | α | 出典 |
|---|---|---|
| 球状タンパク質 | 0.38〜0.39(別報告で 0.381) | 拡散 NMR および PDB 200 構造のフラクタル次元計算 |
| 天然変性タンパク質 | 平均 0.507 | Dudás & Bodor(球状 12+天然変性 10、〜65 000 g mol⁻¹) |
| 強変性条件のタンパク質 | 0.6 に接近 | 良溶媒中の高分子に近い |
球状か、変性しているか、天然変性かを α の値だけで判別できるというのは、拡散 NMR の使い方としてかなり強い。
高分子ではさらに、同じポリマーでも溶媒と分子量域で α が変わる。Augé らのポリスチレンのデータ(J. Phys. Chem. B 113, 1914, 2009)を Evans が表にまとめている。
| 溶媒 | α | δ = 1/α |
|---|---|---|
| トルエン-d8 | 0.41 | 2.45 |
| アセトン-d6 | 0.47 | 2.15 |
| CDCl₃(< 20 kDa) | 0.47 | 2.12 |
| CDCl₃(> 20 kDa) | 0.61 | 1.63 |
| THF-d8(< 20 kDa) | 0.50 | 2.01 |
| THF-d8(> 20 kDa) | 0.62 | 1.61 |
同じ溶媒でも 20 kDa を境に α が 0.47 → 0.61 に跳ぶ。校正曲線を作るときに分子量域を跨いだら、それはもう別の曲線である。
校正の取り方には 2 系統ある。内部校正は 3 種以上の参照物質を試料と同じ管に入れて α を決める方法で、勾配校正のずれや温度のずれが参照物質と分析種で同じように効くため、多くの実験的不完全性が相殺される。スペクトルが疎なら今でも有効。外部校正は多数の単独測定から校正曲線を作り、未知試料には参照物質 1 種だけを共存させる方法で、汎用性が高い。
ただし、べき乗則の最大の落とし穴は「似ているように見える化合物にも通用するとは限らない」ことだ。Zaccaria らは小分子からアルミニウム錯体、シルセスキオキサンジオール、ジルコニウム錯体まで 11 化合物で優れた直線を得たが、同じ校正曲線が、見た目には近縁な 3 化合物でまったく機能しなかった。シルセスキオキサンを Ti で架橋して 2 かご構造にしたもの、インデニル配位子をメチルやシクロペンタジエニルに置き換えたもの。構造と形が変わると外れる。
そして極端な例として、Zaccaria らの Cp₂MCl₂(M = Ti, Zr, Hf)がある。分子量が 50% 近く増えても、拡散係数は実験誤差の範囲で同じだった。金属核が重くなっても、溶液中の「大きさ」は実質的に変わらないからだ。拡散 NMR が測っているのは質量ではなくサイズである、という当たり前のことを、これほど明瞭に示す例も少ない。
12. 拡散係数から分子量へ ③ SEGWE

校正曲線を作らずに、Stokes–Einstein 式の前提そのものを直しにいくのが SEGWE(Stokes-Einstein-Gierer-Wirtz Estimation) である。
やっていることは 2 段構えだ。
- 摩擦の補正:溶媒が連続体でない効果を、Gierer–Wirtz の微視的摩擦理論(1953)で補正する。この式は溶媒半径と溶質半径の比を必要とするが、
- 半径の推定:溶質を「実効密度 ρeff を持つ剛体球」と割り切って分子量から半径を出す。同じ論理を溶媒にも適用すれば、半径比は溶質と溶媒の分子量の比の 3 乗根に簡約される。
こうして調整パラメータが ρeff ただ一つに減る。44 化合物 × 5 溶媒の 109 通り(298 K)で最適化した結果が
ρeff = 0.619 g cm⁻³
である。有機物の固体・液体の実密度よりずっと小さい。理由も明快で、溶媒和・柔軟性・形状が(およそこの重要度順で)分子を溶液中で「見かけ上大きく」するからだ。
効果は劇的だった。同じデータセットに対する予測誤差は、
- Stokes–Einstein:RMS 45%
- SEGWE:RMS 14.6%
さらにこのモデルは、文献から集めた 558 点の拡散係数(23 溶媒、〜1.5 kDa、298 K 限定も解除)でも、同じ ρeff = 0.619 g cm⁻³ のまま検証されている(Anal. Chem. 90, 3987, 2018)。D₂O と CDCl₃ で 298 / 303 K で測った 200 点のコンピレーションに対しては、全点が 25% 以内で予測できた。
ここで面白いのは、この文献データセットを作る際に設けられた除外基準そのものである。使えるデータかどうかを判定するために、5 つの基準が置かれた。
- 系統的な校正ミス:全測定が一様に予測から外れているもの
- 対流の証拠:温度可変測定や対流しやすい溶媒で、系統的に予測より大きい D が出ているもの
- 一貫しない拡散係数:同一報告内で同じ化学種の値が食い違うもの
- 範囲外:1.5 kDa 超
- 会合の証拠:予測より小さい D が出ていて、会合が予想される系
この 5 項目は、そのまま自分の測定データの健全性チェックリストとして使える。 対流は D を大きくし、会合は D を小さくし、勾配の校正ミスは全体を系統的にずらす ―― 症状と原因が 1 対 1 に対応している。
除外例として挙がっているトリメシン酸(ベンゼン-1,3,5-トリカルボン酸)の DMSO-d6 溶液は、予測より約 60% も小さい Dを示した。この化合物は固体状態でも液–固界面でも「チキンワイヤ」「フラワー」構造の広範な自己集合体を作ることが知られており、後から見れば予想できたはずのものだった。
SEGWE の実用的な位置づけについて、Evans 本人の評価が的確だ ―― SEGWE は必然的に近似であり、三つの方法のなかで最も不確かさが大きい。それでも、
「これらの化学種は会合しているか? この化合物は単量体か二量体か? 私の未知試料のおおよその分子量は?」
という単純な化学的問いに決着をつけるには十分な精度がある。SEGWE は Excel シート、単体の Matlab パッケージ、および処理ソフト GNAT に実装され、Manchester のサイトから無償で入手できる。
そして Evans はこう釘を刺す ―― 「SEGWE は堅牢に取得された正確な拡散係数を必要とする。本総説は温度制御・勾配校正・対流という三つの鍵となる困難を扱った。いかなる拡散 NMR 研究も、データを取得する前にこの三つに取り組むことを強く推奨する」。
13. 重なりを解く ― matrix-assisted DOSY と pure shift DOSY

4 節で見たとおり、DOSY の分解能は「信号が重なっているか」と「D の差が何 % か」で決まる。この 2 つの制約を、それぞれ別のやり方で外しにいくのが以下の 2 系統である。
matrix-assisted DOSY(MAD)― D の差そのものを作り出す
異性体は分子量が同じなので、拡散係数もほぼ同じになる。DOSY では原理的に分けられない。そこで 共溶質(マトリクス)を加え、異性体ごとに相互作用の強さを変えて拡散を人為的に引き離す。
Manchester のグループが標準試験系にしているのが、3 種のジヒドロキシベンゼン異性体(カテコール=1,2-、レゾルシノール=1,3-、ヒドロキノン=1,4-)を各 20 mM で混ぜたものだ。マトリクスなしの D₂O 中では(単位 10⁻¹⁰ m² s⁻¹):
| 化合物 | D(マトリクスなし) | D(SDS/CTAB 混合ミセル) |
|---|---|---|
| カテコール | 5.04 ± 0.03 | 3.27 ± 0.01 |
| レゾルシノール | 5.16 ± 0.02 | 3.93 ± 0.01 |
| ヒドロキノン | 5.18 ± 0.04 | 5.23 ± 0.02 |
マトリクスなしでは、最大の差(カテコール対ヒドロキノン)でもわずか 2.7%。4 節の基準に照らせば、信号が完全に分離していてかろうじて、重なっていれば絶望的である。
ところが SDS 16.6 mM + CTAB 6.4 mM の混合ミセルを加えると、カテコールとレゾルシノールだけがミセルに強く取り込まれて大きく遅くなり、ヒドロキノンはほぼ動かない。結果、差は ΔC–H 38%、ΔH–R 25%、ΔC–R 17% まで開く。重なりがあっても解ける 30% の壁を越えたわけだ。
同グループの検討では、SDS・CTAB・AOT などのイオン性界面活性剤、Brij 系の非イオン性界面活性剤、PVP・PEG などの高分子、α・β-シクロデキストリン、混合溶媒まで幅広く試され、混合ミセルが最良という結論になっている。可視化の邪魔にならないよう、¹H NMR に信号を出さないペルフルオロオクタン酸ミセル(pH で相互作用を調整できる)を使う派生法もある。
実務上の注意も明記されている ―― TSP(3-(トリメチルシリル)プロパンスルホン酸)のような一般的な基準物質自体が、マトリクス成分と有意に相互作用しうる。内部標準を入れて相対拡散率で議論するつもりなら、その標準がマトリクスに捕まっていないことを確かめる必要がある。
pure shift DOSY ― 重なりそのものを減らす
もう一方は、多重線を 1 本の線に潰してしまう(ホモデカップリング)ことで化学シフト軸の混雑を下げるアプローチだ。PSYCHE などの pure shift 法を DOSY の前段に組み込む。JEOL のアプリケーションノート(NM190018E)では、通常の DOSY では重なりのせいで拡散次元の分解能が制限されていた L-メントールと R-(+)-リモネンの混合物が、pure shift DOSY で完全に分離した例が示されている。
さらに新しい方向として、空間選択励起と拡散エンコードを組み合わせ、磁場が不均一な条件下でも化学シフト軸の高分解能を確保する手法が 2026 年に報告されている(Anal. Chem. 98(13), 9842–9850、厦門大学ほか)。ベンチトップ機や不均一な現場条件での混合物解析を睨んだ流れである。
14. 2024–2026 ― ベンチトップ DOSY は GPC を置き換えるか

拡散 NMR の応用で、ここ数年もっとも実務に近いところで動いているのが高分子の分子量測定である。狙いははっきりしていて、GPC/SEC の置き換えだ。
GPC 側の弱点は列挙できる。狭分散標準が要る(入手性が限られる)。大量の溶媒を使う。定期的な校正が要る。PET やナイロンのように普通の溶媒に溶けない高分子は苦手で、高温・高危険性の溶媒が要る。極性・水溶性高分子ではカラムとの相互作用が「サイズだけの分離」を壊す。そして誤差は ―― しばしば 10〜20% ある。
拡散 NMR は原理的にこれらを回避できるが、従来は高磁場装置が要るのが難点だった。ここに 2024 年、Warwick 大学のグループが MaDDOSY(Mass Determination Diffusion Ordered Spectroscopy) を出した(Macromol. Rapid Commun. 45, 2300692、オープンアクセス)。使ったのは 80 MHz のベンチトップ NMR である。
鍵は 溶媒非依存・ポリマー非依存の「汎用校正」 だ。粘度補正を入れた
log D + log η = log c − v log M
という関係(Voorter らが高磁場で示していたもの)を土台に、幅広い高分子種・溶媒で 1 本の直線に載せた。得られた係数は 傾き −v = −0.597 ± 0.021、切片 7.74 ± 0.086。
ここで筆者として指摘しておきたいのは、この v = 0.597 が Flory の良溶媒指数 0.588 とほとんど一致していることだ。偶然ではない。論文は「各高分子について良溶媒であることがわかっている溶媒を選んだ」と明記している。良溶媒に揃えれば α はどの高分子でもほぼ 0.59 になる ―― だから「汎用」校正が成立する。逆に言えば、溶媒選択を誤れば汎用性は即座に崩れる。論文も「溶けの悪い溶媒を使うと良溶媒中とは異なる拡散係数になった」と報告している。
実用上の制約も具体的に書かれている。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 温度 | 26.5 ℃ でのみ成立(磁石内部の実測温度)。ずれれば校正のやり直しが要る |
| 濃度上限 | 100 kDa 未満なら 10 mg mL⁻¹ まで(C = 分子間相互作用が D* に効き始める濃度) |
| 分子量上限 | 約 200 kDa までを推奨(343 kDa の PMMA は C* に近すぎてずれた) |
| 測定時間 | 通常溶媒で 約 8 分、重水素化溶媒なら 1 分未満 |
| 重水素化溶媒 | 不要(外部ロック)。反応混合物を直接サンプリングできる |
| 苦手 | リゾチームのような大きなタンパク質(プロトン環境が多すぎて積分領域を取れない)。短鎖ペプチドのカルシトニンは良好 |
| 電荷 | ポリ(スチレンスルホン酸)は脱イオン水中で系統的に上振れ |
そして決定的な限界が 1 つ。「現時点では 1 つの数値のみに限られ、分散度(Ð)の指標がない」。GPC が返すのは分布そのもので、MaDDOSY が返すのは平均 1 点である。GPC との一致は良好だが、GPC の誤差 10〜20% と同程度の土俵で同程度、というのが正確な言い方だろう。
2025 年には同系統の続報 MaDDFLOSY(Macromolecules 58(10), 5201–5207)が出ている。流したまま測るのが眼目で、Oxford Instruments X-Pulse(60 MHz)に J-PGSE 系列を使い、蠕動ポンプで 0.1〜4.0 mL min⁻¹ の流量を振っても拡散係数と流量に明確な相関は出なかった(3 種の高分子で変動係数 8.82%、12.5%、6.94% ―― 通常の GPC の許容誤差 10% の範囲内)。分光計が 40 ℃ で動くため 26.5 ℃ 基準の校正を Stokes–Einstein 式で補正しており、同一試料の両温度測定で 99% の一致を確認している。RAFT 重合をオンラインで追跡し、転化率と分子量を同時に追った例が示されている(オフライン GPC で Mn = 4070、Mw = 6470 g mol⁻¹、95% 信頼区間は 15% を超えず)。
ただしこの論文は、自分たちの数字の性格についても正直だ。拡散平均分子量 MD は Mn と Mw の間に落ちるので、「従来報告される分子量の代替ではなく補完として位置づけるべき」としている。
反応をその場で追いながら分子量を出せる、という点では、フローNMRによる反応モニタリングで扱った停止流/連続流の議論とそのまま地続きである。ベンチトップNMRの選び方で見たとおり、ベンチトップ機の感度は「どの核を測るか」で大きく変わるが、DOSY は ¹H で回すぶんそこの制約が軽い ―― 代わりに勾配コイルの性能と温度安定性が効いてくる。
分析者の視点:DOSY を「秤」として使う
ここまでの内容を、実際に手を動かす順序に並べ直す。
測る前に決めること
- そもそも分けたい成分の D の差は何 % か。信号が分離しているなら 1%、重なっているなら 30% が目安。差が足りないなら、DOSY の前に MAD か pure shift を検討する。
- Guest らの式で達成可能な拡散分解能を見積もる。S/N を積算で稼いでも 300 前後で頭打ちになる。足りないなら実験計画自体を変える。
測るときに守ること
- 対流補償系列を既定にする(5 mm 管で室温以外、クライオプローブなら常に)。信号は半分になるが、対流で膨らんだ D は取り返しがつかない。
- 疑わしければ Δ を変えて D を測る。Δ に比例して増えたら対流。
- 勾配校正と温度校正を先に済ませる。空間不均一性のマッピングまでやれば 1% を切れる。
- 最終点で 5% を狙って Δ と δ を決める。デューティ比 5% の上限を必ず守る。
- 交換性プロトンは使わない(水と平均化される)。
数字を解釈するとき
- 上振れしていたら対流、下振れしていたら会合、全体が一様にずれていたら校正。この 3 択でまず切り分ける。
- 分子量に翻訳するなら、用途で方法を選ぶ。近縁化合物のシリーズで精度が要るならべき乗則の外部校正(ただし構造が変わったら曲線も変える)。スペクトルが疎なら内部校正。「単量体か二量体か」程度の問いなら SEGWE で十分(RMS 14.6%)。
- 拡散係数が測っているのはサイズであって質量ではない。Cp₂MCl₂ の Ti / Zr / Hf は質量が 50% 違っても D が同じだった。金属を重くしても、かごに小さな環を入れても、外寸が変わらなければ D は動かない。
そして最後に、Wisconsin の手引きの忠告をもう一度置いておく ―― DOSY の 2D 表示ではなく、減衰曲線を見ること。フィットが信用できるかどうかは、そこにしか書いていない。
まとめ
- DOSY の拡散軸は測定値ではなく統計的な構築物である。ピークの位置はフィットの出力、幅はその標準誤差。同じ D の信号は「重なるべきだが一致しない」。これは DOSY を作った Morris 自身の言葉である。
- 分けられる D の差は、信号が分離していれば 1%(分子量で約 3%)、重なっていれば 30%。重なったピークを単一指数でフィットすると、誰のものでもない中間の D にピークが立つ。
- S/N を上げても分解能は 300 前後で頭打ちになる。S/N 14 400 : 1 でも到達した分解能は理論値の 1/35 だった。誤差の主役はノイズではなく系統誤差である。
- その系統誤差の筆頭が対流。ハドレー流は臨界現象ではないので室温以下でも起き、すべてのプローブで起きる。対流は必ず D を過大評価させる。CDCl₃ は D₂O より 10 倍以上対流しやすい。
- 対策は対流補償系列(信号半減)・細管・サファイア管、診断は Δ を振って D の Δ 依存性を見ること。
- 校正は勾配(空間不均一性まで補正すれば 1% 以下)と温度(メタノール-d4、280〜320 K)。
- 分子量への翻訳は 3 通り。Stokes–Einstein は小分子で RMS 45% 外す。べき乗則は近縁化合物で精度が出るが構造が変われば崩れる。SEGWE(ρeff = 0.619 g cm⁻³)は RMS 14.6% で、単量体/二量体を判定するには十分。逆算(D → M)は不確かさが約 3 倍になることを忘れない。
- 異性体のように D が近い系は、matrix-assisted DOSY で差を作れる。ジヒドロキシベンゼン 3 異性体は 2.7% → 38% まで開いた。
- 2024〜2026 年、80 MHz ベンチトップの汎用校正(MaDDOSY)が GPC と同等の一致を示し、2025 年には流したまま測る MaDDFLOSY が出た。ただし 分散度は出ない。GPC の代替というより補完である。
用語集
- DOSY:diffusion-ordered spectroscopy。化学シフト軸と拡散係数軸を持つ擬似 2D スペクトル。Morris & Johnson(1992)による。
- 自己拡散係数 D:分子が自身の熱運動で移動する速さを表す量。単位は m² s⁻¹。同じ分子内のすべての核で同じ値になる(交換がなければ)。
- Stejskal–Tanner 式:勾配強度・パルス幅・拡散時間と信号減衰を結ぶ基本式(1965)。
- Δ / δ / g:拡散遅延/勾配パルス幅/勾配強度。DOSY で振るのは通常 g。
- Δ′(実効拡散時間):勾配パルス中の拡散を補正した拡散時間。パルス系列ごとに値が違う。
- PGSE / PGSTE:パルス磁場勾配スピンエコー/誘導エコー。後者は磁化を縦に寝かせるため Δ の上限が T2 でなく T1 になる。
- LED:longitudinal eddy current delay。渦電流が減衰するまで磁化を縦に保持する遅延。
- 双極子対勾配(bipolar pair):符号が逆の勾配対で渦電流とロックの乱れを打ち消す手法。
- Oneshot:非対称双極子対で長い位相サイクルを不要にした高分解能 DOSY 系列(2002)。
- DSTE(二重誘導エコー):拡散エンコードを 2 分割して対流の効果を打ち消す対流補償系列。信号は半分になる。
- ハドレー流:水平温度勾配が駆動する対流。臨界現象ではないため閾値がなく、常に存在しうる。
- レイリー・ベナール対流:鉛直温度勾配による対流。臨界現象で、閾値を超えるまで起きない。
- HR-DOSY:各ピークの減衰を単一指数でフィットする高分解能近似(Barjat ら, 1995)。重なりがあると破綻する。
- 拡散分解能 RD:D/σD。安全に区別できる D の差の逆数に相当する指標。
- Stokes–Einstein 式:D = kBT / 6πηrh。溶媒を連続体、溶質を剛体球と仮定する。
- 流体力学半径 rh:同じ速さで拡散する仮想的な剛体球の半径。実際の分子寸法とは別物。
- べき乗則:D = K M−α。α は溶液中での分子の詰まり方を反映する。
- Flory 指数:高分子の広がりを表す指数。貧溶媒 0.333、Θ 溶媒 0.500、良溶媒 0.588。
- SEGWE:Stokes-Einstein-Gierer-Wirtz Estimation。Gierer–Wirtz の微視的摩擦補正と実効密度 ρeff = 0.619 g cm⁻³ で分子量を推定する方法。
- C*:高分子溶液で分子間相互作用が拡散係数に効き始める濃度。
- matrix-assisted DOSY(MAD):界面活性剤などの共溶質を加え、成分ごとに拡散を変えて分離を作る手法。
- pure shift NMR / PSYCHE:多重線を 1 本に潰してスペクトルの混雑を下げる手法。
- GPC / SEC:ゲル浸透クロマトグラフィー/サイズ排除クロマトグラフィー。高分子分子量測定の標準法。
- 分散度 Ð:Mw/Mn。分子量分布の広さ。
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出典
総説・原理
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- K.F. Morris, C.S. Johnson Jr., "Diffusion-ordered two-dimensional nuclear magnetic resonance spectroscopy", J. Am. Chem. Soc. 1992;114:3139. doi:10.1021/ja00034a071
- H. Barjat, G.A. Morris, S. Smart, A.G. Swanson, S.C.R. Williams, "High-resolution diffusion-ordered 2D spectroscopy (HR-DOSY)", J. Magn. Reson. 1995;108:170.
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分解能・S/N・誤差
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実験パラメータ・運用
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分子量推定
- R. Evans, Z. Deng, A.K. Rogerson, A.S. McLachlan, J.J. Richards, M. Nilsson, G.A. Morris, "Quantitative Interpretation of Diffusion-Ordered NMR Spectra: Can We Rationalize Small Molecule Diffusion Coefficients?", Angew. Chem. Int. Ed. 2013;52:3199-3202. doi:10.1002/anie.201207403
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- SEGWE 実装(Excel / Matlab / GNAT):Manchester NMR Methodology Group http://nmr.chemistry.manchester.ac.uk/
matrix-assisted DOSY / pure shift DOSY
- V.M.M. Gramosa, N.M.P.S. Ricardo, R.W. Adams, G.A. Morris, M. Nilsson, "Matrix-assisted diffusion-ordered spectroscopy: choosing a matrix", Magn. Reson. Chem. 2016;54(10):815-820. doi:10.1002/mrc.4459、PMC5031188 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5031188/
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ベンチトップ DOSY と高分子
- O. Tooley, W. Pointer, R. Radmall, M. Hall, V. Beyer, K. Stakem, T. Swift, J. Town, T. Junkers, P. Wilson, D. Lester, D. Haddleton, "MaDDOSY (Mass Determination Diffusion Ordered Spectroscopy) using an 80 MHz Bench Top NMR for the Rapid Determination of Polymer and Macromolecular Molecular Weight", Macromol. Rapid Commun. 2024;45:2300692. doi:10.1002/marc.202300692(オープンアクセス)
- W. Pointer, O. Tooley, A. Said, R. Radmall, P. Wilson, D. Lester, J. Town, R.J. Blagg, D.M. Haddleton, "MaDDFLOSY (Mass Determination via Diffusion in FLow Ordered SpectroscopY) for the Determination of Diffusion-Averaged Molecular Weight of Polymers in Continuous Motion Using Benchtop NMR", Macromolecules 2025;58(10):5201-5207. doi:10.1021/acs.macromol.4c03260
- P.-J. Voorter, A. McKay, J. Dai, O. Paravagna, N.R. Cameron, T. Junkers, Angew. Chem. Int. Ed. 2022;61:e202114536(溶媒非依存の粘度補正校正)
制作メモ:本記事はディープリサーチで一次資料の候補を収集したうえで、編集側ですべての数値・引用を原典(論文本文 PDF・オープンアクセス全文・メーカーのアプリケーションノート)にあたって検証して執筆した。Evans 2019 の総説は Aston 大学リポジトリ公開の受理版 PDF、Guest 2021 は Magnetic Resonance 誌(Copernicus)のオープンアクセス全文、Gramosa 2016 は PMC 全文、MaDDOSY 2024 は Wiley のオープンアクセス版から本文を直接読んで数値を転記している。「1% の D 差 ≒ 3% の質量差」および matrix-assisted DOSY の差分(2.7% → 38%)は編集側で検算した。MaDDOSY の校正式については、原著が式中の単位系を明示していないため本記事では傾き(−0.597 ± 0.021)と切片(7.74 ± 0.086)の値のみを示し、数値計算に使う場合は原著の Supporting Information と付属の Web 計算ツールで確認するよう促すにとどめた。v = 0.597 と Flory の良溶媒指数 0.588 の一致についての解釈は編集側の指摘であり、原著がそう述べているわけではない(原著は「良溶媒を選んだ」とのみ記している)。Bruker 公式のアプリケーションノートは公開 URL が取得できなかったため、パルスプログラム名と運用指針は University of Wisconsin NMR 施設の公開手引き(Bruker 文書を補完する位置づけの資料)と JEOL の公開アプリケーションノートに拠った。Swan 2015 と Barbosa 2016 は出版社サイトが本文を返さなかったため、本文中の記述は Evans 2019 総説がこれらを引いて述べている内容であり、両論文の原著本文は未確認である。2026 年の空間選択 DOSY(Anal. Chem. 98(13):9842-9850)は書誌情報と要旨の範囲でのみ確認しており、本文は未確認である。ペルフルオロオクタン酸ミセルを使う「見えないマトリクス」も、出版社サイトが本文を返さなかったため要旨レベルの確認にとどまる。電池電解液など無機・エネルギー分野の拡散 NMR 応用は、今回は定量データを一次情報で確認できなかったため扱わなかった。