移動相・緩衝液調製の実務 ― その pH は、どこで測った値か
クロマトグラフィー

移動相・緩衝液調製の実務 ― その pH は、どこで測った値か

「移動相の pH は ±0.2 以内」。薬局方が許す調整範囲としてよく引かれる数字だが、その pH が どこで測った値なのかは意外に意識されていない。日本薬局方は「移動相の水系組成の pH」、 USP は「移動相の調製に用いる水性緩衝液の pH」と書いている ―― どちらも有機溶媒を混ぜる前の値である。 ところが分析種の解離を実際に支配するのは混合後の pH で、両者は別物だ。混合溶媒中の pH には 三つのスケールがあり、しかも熱力学的に正しいスケールは 25℃ 以外では標準緩衝液が存在しないため 直接測れない。2024年には「異なる組成の移動相の pH は本来比較できない」として統一 pH の提案も出た。 本記事は JP19 と USP〈621〉の条文、pH スケールの原著、緩衝塩の溶解限界の実測データを原典で確認し、 緩衝液の選び方・濃度・析出・混合方式・調製法までを整理する。

「移動相の pH は ±0.2 以内」。薬局方が許す調整範囲として、これほどよく引かれる数字もない。

だが、その pH はどこで測った値かと聞かれて、即答できるだろうか。

  • リン酸緩衝液を作った段階で、水溶液のまま測った値か
  • アセトニトリルと混ぜたあとで、その混合液に電極を突っ込んで測った値か
  • そもそも、その電極は何で校正したのか

この三つは別の量である。しかも薬局方が「±0.2」と言っているのは、このうち特定の一つだけだ。そして、分析種の解離を実際に支配しているのは、それとは違う量である。

移動相調製は「手順書どおりに作るだけ」の作業に見えて、再現性トラブルの温床になりやすい。HPLC トラブルシューティング で扱った保持時間のドリフトやピーク形状の悪化は、その多くが移動相側に原因を持つ。本記事は、原典にあたって「何が決まっていて、何が決まっていないのか」を切り分ける。

この記事の読み方

  • 入門者:1〜4 節。三つの pH、緩衝液が効く範囲、濃度の決め方。
  • メソッドを作る人:5〜9 節が本題。有機溶媒の影響、析出限界、混合方式、調製法。
  • 規制対応が要る人:10〜11 節。JP19 と USP〈621〉が許す調整範囲。
  • 急ぐ人:12 節のチェックリスト。

数値はすべて原典(薬局方 PDF・論文本文)を開いて確認している。裏が取れなかったものは制作メモで明示した。

1. 混合溶媒の pH には三つのスケールがある

混合溶媒のpHの三つのスケール。混合前の水性緩衝液、混合後を水系校正、混合後を同じ混合溶媒で校正
図解:三つの pH スケール。保持を支配するのは三番目だが、25℃ 以外では直接測れない

まず用語を固定する。水と有機溶媒の混合物中の pH には、測り方によって三つの流儀があり、国際的に次の表記が使われている。

表記 何を測るか 電極の校正
ᵂ_w pH 有機溶媒を混ぜる前の水性緩衝液の pH 水系の標準緩衝液
ˢ_w pH 混合したあとの移動相の pH 水系の標準緩衝液
ˢ_s pH 混合したあとの移動相の pH 同じ混合溶媒で調製した標準緩衝液

添字の読み方は、左上が「測定した溶媒」、左下が「電極を校正した溶媒」である。たとえば ˢ_w pH は「混合溶媒(s)中で測ったが、電極は水(w)で校正した」という意味になる。

実務でいちばん多いのは ᵂ_w pH(緩衝液を作った段階で測る)。次に多いのが ˢ_w pH(混ぜたあとに、水系校正のまま突っ込む)。そして熱力学的に意味があるのは ˢ_s pH である。

なぜ ˢ_s pH が本命かというと、Gagliardi らの論文が端的に書いている。

the SSpH value of any buffered acetonitrile/water mobile phase used in reversed-phase liquid chromatography, which is directly related to the ionized fraction of analyte and, therefore, to its average retention (逆相 LC で用いる緩衝化アセトニトリル/水移動相の ˢ_s pH は、分析種のイオン化した割合に直接関係し、したがってその平均的な保持に関係する)

— Gagliardi, Castells, Ràfols, Rosés, Bosch, Anal. Chem. 2007;79(8):3180-3187

保持を決めているのは ˢ_s pH である。ᵂ_w pH ではない。

ところが同論文の冒頭には、こう書かれている。

The SSpH in acetonitrile/water mixtures at different temperatures cannot be directly measured because of the lack of calibration buffers in these hydroorganic media at most temperatures different from 25 °C. (異なる温度のアセトニトリル/水混合物中の ˢ_s pH は、25℃ 以外のほとんどの温度でこれらの水–有機媒体中の校正用緩衝液が存在しないため、直接測定できない)

つまり、本命の量は直接測れない。だから同論文は、直接測れる ˢ_w pH から ˢ_s pH へ換算する δ パラメータを、アセトニトリル 0〜90%、温度 15〜60℃ の範囲で決定し、組成と温度の関数に当てはめた。ˢ_w pH は水系標準緩衝液で校正できるので実務的に測りやすい ―― そこから換算する、という設計である。

2. 薬局方が言う「pH ±0.2」は、混合前の値

薬局方のpH ±0.2は混合前の水性緩衝液の値。日本薬局方は水系組成のpH、USPは調製に用いる水性緩衝液のpH
図解:薬局方の「pH ±0.2」は混合前の水性緩衝液の値

では薬局方はどれを指しているのか。条文を開くと、明確に書いてある。

第十九改正日本薬局方 一般試験法 2.00 クロマトグラフィー総論、「4.1 液体クロマトグラフィー:イソクラティック溶離」の移動相の項:

移動相の水系組成のpH:別に規定するもののほか,±0.2 pH単位 ・移動相の緩衝液組成の塩濃度:±10%

USP〈621〉CHROMATOGRAPHY はさらに明示的である。

pH of Mobile Phase (HPLC) — The pH of the aqueous buffer used in the preparation of the mobile phase can be adjusted to within ±0.2 units of the value or range specified. (移動相の調製に用いる水性緩衝液の pH は、規定された値または範囲の ±0.2 単位以内で調整できる)

Concentration of Salts in Buffer (HPLC) — The concentration of the salts used in the preparation of the aqueous buffer used in the mobile phase can be adjusted to within ±10%, provided the permitted pH variation (see above) is met.

どちらも 「水系組成の」「the aqueous buffer used in the preparation of」 と限定している。つまり ᵂ_w pH、有機溶媒を混ぜる前の値である。

この帰結は実務的に重要だ。

  • 手順書に「移動相の pH を 3.0 に調整する」とあったら、それは水性緩衝液の段階での話である。混合後の液に電極を入れて 3.0 に合わせるのは、条文が想定している操作ではない。
  • 逆に、混合後の pH を測って記録しても、それは規制上の「pH」ではない。有用な情報ではあるが、別の量である。
  • USP は塩濃度の ±10% について「許容される pH の変動(上記)が満たされることを条件として」と付けている。濃度をいじった結果 pH が ±0.2 を外れたら、両方まとめてアウトになる。

なお両薬局方とも、検出波長の変更は認めていない。USP は「Deviations from the wavelengths specified in the method are not permitted」とし、検出器の波長誤差が最大でも ±3 nm であることを検証せよと定めている。JP19 も「検出波長:変更することはできない」と一行である。移動相はいじれるが波長はいじれない、という非対称は覚えておくとよい。

3. 緩衝液が効く範囲 ― pKa ± 1 の意味

緩衝能はpHがpKaに等しいとき最大で、pKaから1離れると最大の約3分の1に落ちる
図解:緩衝能は pKa で最大。pKa ± 1 でもう約 1/3 に落ちている

緩衝液の選定は pKa で決まる。ヘンダーソン–ハッセルバルヒ式から、緩衝能 β は次の形になる。

β = 2.303 · C · Ka·[H⁺] / (Ka + [H⁺])²

(C は緩衝液の全濃度)

この式は pH = pKa のとき最大になり、そのとき β = 0.576·C である。では pKa から 1 だけ離れるとどうなるか。[H⁺] = 10·Ka または Ka/10 を代入すると、

β = 2.303 · C · 10/121 ≈ 0.19·C

最大値の約 1/3 に落ちる。これが「緩衝液は pKa ± 1 の範囲で使う」という経験則の中身である。±1 が限界というより、±1 でもう 1/3 まで落ちていると理解したほうが実態に近い。

逆に言えば、pKa から 2 も離れた緩衝液は、名前が緩衝液でも緩衝していない。「リン酸緩衝液 pH 5.0」のような設定は、リン酸の第一段(pKa₁ ≈ 2.1)からも第二段(pKa₂ ≈ 7.2)からも遠く、緩衝能がほとんどない領域を使っていることになる。リン酸は 3 つの pKa を持つおかげで広い範囲で使えるように見えるが、pKa と pKa の谷間は弱い

4. 濃度は「薄いと効かず、濃いと落ちる」

薄いと効かず濃いと落ちる。低い緩衝能は平衡化の遅れと再現しない保持を招く
図解:濃度は二つの制約に挟まれる。薄いと効かず、濃いと落ちる

濃度の決め方は、二つの制約に挟まれる。

下限側 ―― 緩衝能は濃度 C に比例する(3 節の式)。薄すぎると効かない。Schellinger と Carr の論文は、この点を実務の言葉で書いている。

One always can avoid precipitation of the buffer salt by using a very low concentration of buffer salt (10 mM) in the aqueous portion of the eluent. However, the resulting low buffer capacity can lead to slow equilibration, irreproducible retention, and poor peak shapes. (溶離液の水部分で非常に低い緩衝塩濃度(10 mM)を使えば、緩衝塩の析出は常に避けられる。しかし、その結果生じる低い緩衝能は、平衡化の遅れ、再現しない保持、悪いピーク形状につながりうる)

「析出しないように薄くする」は、再現性を犠牲にする解である。

上限側 ―― 濃いと有機溶媒中で析出する(7 節)。加えて、LC-MS ではイオン源の汚染と不揮発性塩の堆積という別の上限がかかる。

同論文はもうひとつ、見落とされがちな点を指摘している ―― イオン化する分析種では、保持も選択性も塩濃度の関数である。つまり濃度は「緩衝できればいくつでもよい」パラメータではなく、それ自体がクロマトグラムを動かす変数である。だから薬局方も濃度の調整を ±10% に縛っている。

5. 有機溶媒を混ぜると、pH も pKa も動く

有機溶媒を混ぜると見かけのpHが動き、分析種と緩衝液のpKaも動く
図解:有機溶媒を混ぜると、見かけの pH と pKa が同時に動く

ここが本記事の核心である。水性緩衝液に有機溶媒を混ぜると、二つのものが同時に動く

  1. 測定される pH(見かけの pH)が動く。同じ緩衝液でも、アセトニトリルを混ぜていくと ˢ_w pH は水中の値から外れていく。1 節で見た δ パラメータは、まさにこのずれを組成と温度の関数として記述したものである。
  2. 分析種と緩衝液の pKa も動く。有機溶媒は溶媒の誘電率と水素結合能を変えるので、酸解離平衡そのものがずれる。

結果として、「pH 3.0 に調整した緩衝液を 50% アセトニトリルと混ぜた移動相」の中で、分析種がどれだけ解離しているかは、pH 3.0 という数字からは分からない

この事実は、実務上いくつかの帰結を生む。

  • 有機溶媒比を変えたら、保持の変化はすべて「溶媒強度が変わったから」ではない。解離状態も一緒に変わっている。イオン化性化合物では、この二つが混ざって観測される。
  • グラジエントでは、分析種の解離状態が溶出中に変化する。組成が変わるにつれ ˢ_s pH も pKa も動くからである。イソクラティックより条件調整が難しいと薬局方が繰り返し注意するのは、これも一因である。
  • 温度も効く。δ パラメータが 15〜60℃ の関数として決められているのは、温度によってずれ方が違うからにほかならない。カラム温度 ±10℃ が許容されていても、pH の観点では無害ではない。

6. 2024年の提案 ― そもそも比較できていない

異なる組成の移動相のpHは正しく比較できない。統一pHが提案され78種類の移動相で実測された
図解:2024年の提案。組成が違えば pH は比較できていない

この問題に正面から取り組んだのが、タルトゥ大学(エストニア)の Leito らによる 2024 年の研究である(Analyst 2024;149(5):1481-1488)。要旨の問題設定が鋭い。

In addition to experimental difficulties, the pH values refer to different aqueous-organic compositions that cannot be correctly compared. (実験上の困難に加えて、これらの pH 値は異なる水–有機組成を参照しており、正しく比較することができない)

つまり「移動相 A は pH 3.0、移動相 B は pH 3.0」と書いてあっても、組成が違えばその二つは比較できていない。同じ数字が同じ酸性度を意味していない。

著者らの提案は 統一 pH(wₐᵦₛ pH) である。溶媒和プロトンの絶対化学ポテンシャルに基づく量で、「どのような組成の移動相の間でも完全に相互比較できる」(fully inter-comparable between mobile phases of any composition)と位置づけられている。

実測も伴っている。

  • 78 種類の逆相 LC-MS 移動相について wₐᵦₛ pH を測定
  • 2 つのガラス電極半電池を持つ対称セルと、ほぼ理想的なイオン液体 [N2225][NTf2] の塩橋を用いた電位差測定
  • 重複測定を含む 300 個の Δwₐᵦₛ pH の系を、pH 7.00 の水系標準緩衝液に係留
  • 全測定系の一貫性の標準偏差は 0.09 pH 単位

そして実務への配慮も書かれている ―― 二重液絡の参照電極や複合電極を使うより簡便な測定法も試験され、高い正確さが要らないルーチンのラボには適していると判断された

現時点でこれが標準になっているわけではない。ただ、「移動相の pH」という言葉が抱える曖昧さが、測定科学の側から問題として扱われていることは知っておく価値がある。

7. 緩衝塩はどこで析出するか ― 実測値

リン酸カリウムpH7.0の溶解限界。アセトニトリルでは70%で20 mM、80%で5 mM、90%で0
図解:最も溶けにくいリン酸カリウム pH 7.0 の溶解限界

理屈から実務に戻る。緩衝塩は有機溶媒比が上がると溶けなくなる。どこで落ちるのか。

Schellinger と Carr は、逆相 LC でよく使う 5 種類の緩衝液(酢酸アンモニウム pH 5.0、リン酸アンモニウム pH 3.0 と 7.0、リン酸カリウム pH 3.0 と 7.0)について、メタノール・アセトニトリル・テトラヒドロフランとの混合物中での溶解限界を実測した(LCGC North America 2004;22(6):544-548)。

得られた序列は明快である。

  • すべての緩衝液はメタノール中で最も溶けやすく、THF 中で最も溶けにくい。
  • 酢酸アンモニウム pH 5.0 が最も溶けやすく、リン酸カリウム pH 7.0 が最も溶けにくい。
  • リン酸緩衝液は pH 3.0 のほうが pH 7.0 より溶けやすい

序列の理由も述べられている ―― 緩衝液の溶解性は陽イオンの水中溶解性の傾向(NH₄⁺ > K⁺ > Na⁺)に従うと予想され、そのためナトリウム塩は避けた(さらに溶けにくいと予想されるため)。無機塩に限定したのは、有機系の緩衝塩より有機溶媒に溶けにくいからである。

最も溶けにくいリン酸カリウム pH 7.0 の溶解限界が表として与えられている。

有機溶媒比 %B メタノール アセトニトリル THF
0〜40% 50 mM 50 mM 50 mM
50% 50 mM 50 mM 25 mM
60% 50 mM 45 mM 15 mM
70% 35 mM 20 mM 10 mM
80% 15 mM 5 mM 5 mM
90% 5 mM 0 0

(95% 信頼区間は ±3.3 mM)

アセトニトリル 90% ではリン酸カリウム pH 7.0 は事実上溶けない。80% でも 5 mM が限界である。「20 mM リン酸緩衝液」を使うメソッドで有機溶媒比を 70% まで上げれば、アセトニトリルなら限界ちょうどであり、THF なら完全に超えている。

8. 「1割増えると半分になる」

50から70%Bでは有機溶媒が10%増えるごとに溶解度が半分になる
図解:「1割増えると半分になる」。終端を上げる操作は指数関数的に効く

同論文の結論に、覚えやすい経験則が書かれている。

Buffer solubility decreases by a factor of 2 for a 10% increase in organic volume fraction in the range of 50–70% B. (緩衝液の溶解度は、50〜70%B の範囲で有機溶媒の体積分率が 10% 増えるごとに 1/2 になる)

グラジエントの終端組成を 60% から 70% に上げるだけで、析出余裕が半分になる。メソッド開発で「もう少し洗いたい」と終端を上げる操作は、緩衝塩の観点では指数関数的に効く。

なお著者らは、この表が保守的(低め)な見積もりであるとも述べている。当てはめの際に「緩衝液は純有機溶媒中では不溶(0 mM)」と仮定したためで、実際には酢酸アンモニウムは純メタノール中で 2 M 近く溶けるという極端な例外がある。表の値を下回っていれば安全側、という読み方が正しい。

9. オンライン混合は、表より厳しい

Aを水系緩衝液、Bを純アセトニトリルにする組み方が析出に対して最も危険
図解:最も普通の組み方が、析出に対しては最悪の構成になる

7 節の表には重要な但し書きがある。この実測は「あらかじめ混合した」溶液での値である。ポンプで混ぜる場合は話が変わる。

Inefficient mixing will lower the apparent solubility of a machine-mixed buffer compared with the value reported in Figure 1. (混合が不十分だと、装置で混合した緩衝液の見かけの溶解度は、図1に示した値より低くなる)

著者らは、溶解限界近傍では濃厚な緩衝液の一滴が一過性の析出物を作り、徐々に消えるという現象を観察している。混合の微視的環境が効くということで、LC システムごとに混ざり方が違えば結果も違う。

そのうえで、具体的な推奨が書かれている。

when a machine-mixed eluent is used, we recommend using an aqueous–organic mixture near the desired %B in one channel and the appropriate concentration of buffer in water in the other channel to minimize the chance of buffer precipitation. Every effort should be taken to avoid mixing a pure organic solvent with a purely aqueous buffer. (装置で混合する溶離液を使う場合、緩衝液析出の可能性を最小化するため、一方のチャンネルには目的の %B に近い水–有機混合物を、他方のチャンネルには適切な濃度の水系緩衝液を用いることを推奨する。純有機溶媒と純水系緩衝液を混合することは、あらゆる努力をして避けるべきである

A ライン=水系緩衝液、B ライン=純アセトニトリルという最も普通の組み方が、実は析出に対して最も危険な構成である ―― これは知っておく価値がある。ポンプ内の混合点では、局所的に極端な組成が生じうるからだ。

対策として、B ラインにもあらかじめ水を少し入れておく(たとえば 90:10 アセトニトリル/水)という構成が挙げられる。溶媒強度への影響は小さく、混合点での極端な組成を避けられる。

10. 調製は容量か、質量か

容量調製は温度で変わり体積収縮もある。質量調製なら温度に依存しない
図解:調製は容量か質量か。どちらで作ったかを手順書に書く

「移動相 A:B = 50:50」と書かれたとき、その 50:50 をどう作るか。メスシリンダーで別々に量って混ぜるのか、片方を量ってからもう片方を加えて全量を合わせるのか、あるいは質量で量るのか。

体積は温度で変わり、水と有機溶媒を混ぜると体積が加成的でない(混合による体積収縮が起きる)。したがって「50 mL + 50 mL」と「全量 100 mL」は同じにならない。

参考になるのは、7 節の実験そのものである。Schellinger と Carr は溶離液を質量で調製しており、25℃ での密度を明記している。

溶媒 密度(25℃)
0.9971 g/mL
メタノール 0.78664 g/mL
アセトニトリル 0.7761 g/mL
THF 0.88415 g/mL

再現性を要求される測定では、質量調製のほうが素直である。天秤は温度に依存せず、目盛りの読み取り誤差もない。一方で薬局方の記載は体積比で書かれているので、手順書との整合を取ったうえで採用する必要がある。

いずれにせよ、「どの方式で作ったか」を手順書に書くことが最低限である。同じ「50:50」でも作り方が違えば組成が違い、組成が違えば 7 節の析出限界も 5 節の解離状態も変わる。ラボ間・担当者間で保持時間が合わない原因として、ここは真っ先に疑う価値がある。

11. 薬局方が許す調整範囲 ― 全体像

薬局方が許す調整範囲。pH±0.2、塩濃度±10%、マイナー成分は相対±30%かつ絶対10%以内、検出波長は変更不可
図解:許容範囲の全体像。複数の調整の累積効果は保証されていない

移動相以外も含めて、JP19 の「4.1 液体クロマトグラフィー:イソクラティック溶離」が許す範囲を整理する。

項目 JP19 の許容範囲
移動相の水系組成の pH ±0.2 pH 単位
緩衝液組成の塩濃度 ±10%
移動相の組成(マイナー成分) 相対的に ±30%、ただし絶対的に 10% 以上の変更は不可
流量 ±50%(カラム寸法に変更がない場合)
カラム温度 ±10℃
検出波長 変更不可
固定相 置換基の変更不可(C18 → C8 は不可)
カラム寸法 L/dp 比一定、または規定値の −25% 〜 +50%

「マイナー成分」の定義は JP19 が明示している ―― (100/n)% 以下のもので、n は移動相の構成要素の総数。二成分系なら 50% 以下の側がマイナー成分である。

USP〈621〉は同じ規則に計算例を付けており、これが分かりやすい。

  • 50:50 の場合 ―― 50 の 30% は絶対値 15% だが、これは許容される絶対 ±10% を超える。したがって 40:60 〜 60:40 の範囲でのみ調整できる。
  • 2:98 の場合 ―― 2 の 30% は絶対値 0.6%。したがって 1.4:98.6 〜 2.6:97.4
  • 三成分 60:35:5 の場合 ―― 第2成分は 35 の 30% が 10.5% で絶対 ±10% を超えるため 25〜45% の範囲。第3成分は 5 の 30% で 1.5%。第1成分で 100% に合わせる。

マイナー成分の比率が小さいほど、許される幅は絶対値で狭くなる。2% の成分は ±0.6% しか動かせない。

そして両薬局方が共通して釘を刺しているのが、累積効果である。

Multiple adjustments can have a cumulative effect in the performance of the system and should be considered carefully before implementation.(USP〈621〉)

複数パラメーターの調整は分析システムに対して累積的な影響を及ぼしうるため,使用者はその影響を適切に評価し,十分なリスクアセスメントを行わなければならない.(JP19)

pH を +0.2、塩濃度を +10%、有機溶媒比を +30% 相対、温度を +10℃ ―― 一つずつは範囲内でも、全部同時にやったときの保証はどこにもない

USP はさらに、調整の前提条件を明示している。

Adjustments are permitted only when suitable standards (including Reference Standards) are available for all compounds used in the suitability test... Adjustments to chromatographic systems performed in order to comply with system suitability requirements are not to be made to compensate for column failure or system malfunction. (調整が許されるのは、適合性試験に用いるすべての化合物について適切な標準品が利用できる場合に限られる…システム適合性要件に適合させるための調整を、カラムの劣化やシステムの不具合を埋め合わせるために行ってはならない

「システム適合性が通らないから移動相をいじる」は、条文が明確に禁じている使い方である。まずカラムと装置を疑う。

範囲を外れる変更には再バリデーションが要る。JP19 は「示されている範囲外への変更には、分析法の再バリデーションが必要である」と明記している。バリデーションの一般論は ICH Q2(R2)/Q14 を参照されたい。

12. 実務のチェックリスト

実務のチェックリスト。手順書のpH、pKa±1、終端組成の溶解限界、システム適合性
図解:実務のチェックリスト

pH について

  1. 手順書の pH が「どの段階の値か」を明記する。薬局方が言う ±0.2 は混合前の水性緩衝液の pH(ᵂ_w pH)。混合後に測った値は別の量である。
  2. 混合後の pH を管理値にしない。記録として残すのは有用だが、規制上の pH ではなく、電極校正の条件によって意味が変わる。
  3. 有機溶媒比を変えたら、解離状態も変わっていることを前提に保持の変化を解釈する。「溶媒強度が変わったから」だけではない。

緩衝液の選定

  1. pKa ± 1 を超えたら緩衝していない。±1 の時点で緩衝能は最大の約 1/3 に落ちる。
  2. 「析出が怖いから薄くする」は再現性を犠牲にする。低緩衝能は平衡化の遅れ・保持の不再現・ピーク形状の悪化を招く。
  3. 溶解性の序列を覚える。メタノール > アセトニトリル > THF、酢酸アンモニウム > リン酸アンモニウム > リン酸カリウム、pH 3 > pH 7。ナトリウム塩はカリウム塩よりさらに不利。

析出を避ける

  1. 終端組成での溶解限界を確認する。リン酸カリウム pH 7.0 なら、アセトニトリル 70% で 20 mM、80% で 5 mM、90% で 0。
  2. 50〜70%B では、有機溶媒が 10% 増えるごとに溶解度が半分になる。終端を上げる操作は指数関数的に効く。
  3. 「A=水系緩衝液、B=純アセトニトリル」は最も危険な組み方。B にも水を少し入れる(例:90:10)。純有機と純水系緩衝液を混ぜることは避ける。
  4. オンライン混合は premix の表より厳しい。表の値は安全側の目安として使い、マージンを取る。

調製と規制

  1. 調製法(容量か質量か、全量合わせか加算か)を手順書に書く。同じ「50:50」でも作り方で組成が変わる。
  2. 調整範囲は一つずつ見ない。pH ±0.2・塩濃度 ±10%・組成 ±30% 相対・温度 ±10℃ を同時に振ったときの保証はない。検出波長だけは動かせない。
  3. システム適合性が通らないときに移動相をいじらない。条文はそれを禁じている。カラムと装置を先に疑う。

まとめ

  • 混合溶媒の pH には ᵂ_w pH / ˢ_w pH / ˢ_s pH の三つのスケールがある。保持を支配するのは ˢ_s pH だが、25℃ 以外では校正用緩衝液が存在せず直接測れない
  • 薬局方の「pH ±0.2」は ᵂ_w pH、つまり有機溶媒を混ぜる前の水性緩衝液の pH である。JP19 は「移動相の水系組成のpH」、USP は「the aqueous buffer used in the preparation of the mobile phase」と明記している。
  • 有機溶媒を混ぜると、見かけの pH も分析種の pKa も動く。有機溶媒比を変えたときの保持変化には、溶媒強度と解離状態の二つが混ざっている。
  • 2024 年、「異なる組成の移動相の pH は正しく比較できない」として統一 pH(wₐᵦₛ pH)が提案された。78 種の移動相で実測され、一貫性の標準偏差は 0.09 pH 単位。
  • 緩衝塩の析出限界は実測されている。リン酸カリウム pH 7.0 はアセトニトリル 90% で事実上溶けない50〜70%B では有機溶媒 10% 増で溶解度が半分になる。
  • 「A=水系緩衝液、B=純アセトニトリル」は析出に対して最悪の構成。原著は「純有機溶媒と純水系緩衝液の混合はあらゆる努力をして避けよ」と書いている。
  • 調整範囲は累積効果を保証していない。そしてシステム適合性を通すために移動相をいじることは、条文が禁じている

用語集

  • ᵂ_w pH:有機溶媒を混ぜる前の水性緩衝液の pH。水系標準緩衝液で校正した電極で測る。薬局方が言う「移動相の pH」はこれ。
  • ˢ_w pH:混合後の移動相を、水系標準緩衝液で校正した電極で測った pH。実務で測りやすいが、熱力学的な意味は間接的。
  • ˢ_s pH:混合後の移動相を、同じ混合溶媒で調製した標準緩衝液で校正した電極で測った pH。分析種の解離を支配する量。
  • δ パラメータ:ˢ_w pH から ˢ_s pH へ換算するための補正値。アセトニトリル/水では組成と温度の関数として決定されている。
  • 統一 pH(wₐᵦₛ pH):溶媒和プロトンの絶対化学ポテンシャルに基づく pH。組成の異なる移動相どうしを比較できるように提案された量。
  • 緩衝能 β:pH を 1 単位動かすのに必要な強酸・強塩基の量。pH = pKa で最大となり、pKa ± 1 で約 1/3 に落ちる。
  • マイナー成分:移動相の構成要素のうち (100/n)% 以下のもの(n は成分数)。薬局方の組成調整規則が適用される対象。
  • premix / オンライン混合:あらかじめ混合した移動相を使うか、ポンプで混合するか。析出のしやすさが変わる。

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出典

  1. 第十九改正日本薬局方 一般試験法 2.00 クロマトグラフィー総論(「4. クロマトグラフィー条件の調整」「4.1 液体クロマトグラフィー:イソクラティック溶離」) https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000066530.html
  2. USP〈621〉CHROMATOGRAPHY, System Suitability の Adjustments 項(本記事が参照したのは USP 31–NF 26 版の条文) http://www.uspbpep.com/usp31/v31261/usp31nf26s1_c621.asp
  3. L.G. Gagliardi, C.B. Castells, C. Ràfols, M. Rosés, E. Bosch, "Delta conversion parameter between pH scales (ˢ_wpH and ˢ_spH) in acetonitrile/water mixtures at various compositions and temperatures", Anal. Chem. 2007;79(8):3180-3187. doi:10.1021/ac062372h(PMID 17358047)
  4. A. Heering, M. Lahe, M. Vilbaste, J. Saame, J.P. Samin, I. Leito, "Improved pH measurement of mobile phases in reversed-phase liquid chromatography", Analyst 2024;149(5):1481-1488. doi:10.1039/d3an02029k(PMID 38314857)
  5. A.P. Schellinger, P.W. Carr, "Solubility of Buffers in Aqueous–Organic Eluents for Reversed-Phase Liquid Chromatography", LCGC North America 2004;22(6):544-548

制作メモ:ディープリサーチで文献を収集しつつ、編集側で原典を開いて検証のうえ執筆した。JP19 の条文は第十九改正日本薬局方の一般試験法 PDF 本文を、USP〈621〉の条文は全文を掲載するサイトの本文を、それぞれ直接読んで引用している。緩衝塩の溶解限界の表は原著 PDF の Table I をそのまま転記した。

本稿では以下を不採用とした。

  • ディープリサーチが取り込んだ 86 件のソースのうち 1 件は URL を持たない AI 生成の総説文書("Advanced Mobile Phase and Buffer Practices in HPLC: Physicochemical Principles, Metrology, and Harmonized Pharmacopeial Compliance")だった。この文書のみに帰属する数値・表は一切採用していない。
  • USP の公式サイト(usp.org)は 403 で調和版 PDF を取得できなかった。本記事が引用した USP〈621〉の条文は、全文を掲載する第三者サイトで確認した USP 31–NF 26 版のものである。2022 年の三薬局方調和以降、カラム寸法に関する規則などは JP19 に近い形に改められているため、USP の最新版を参照する場合は条文を確認されたい。移動相の pH ±0.2、塩濃度 ±10%、組成 ±30% 相対/絶対 10% 以内という数値は、JP19(現行)と USP(参照版)で一致していることを両方の本文で確認している。
  • 移動相の保存期間・微生物増殖・脱気・濾過については、一次情報で裏付けられる定量的なデータを得られなかったため、本記事では扱っていない。定性的な一般論は多数流通しているが、根拠のある数値を示せないため見送った。
  • 緩衝塩の溶解限界は premix(あらかじめ混合した溶液)での実測値である。原著自身が「混合が不十分だと装置混合の見かけの溶解度は表より低くなる」と述べており、オンライン混合ではマージンが必要である旨を本文に明記した。